京都の夏は日本一暑い。四方を山に囲まれていて、観光客に埋め尽くされた街。僕の地元。でもみんなが思ってる「京都が地元」って感じではなく、もはや僕も観光客の1人だと最近は感じるようになってきたのは正直なところ。ずっと洛内に住んでいる人しかわからない京都がある。そんな僕は、祖父母の3&7回忌で、ほんの少しの間、京都に帰ってきた。今は、青い空と入道雲が背景の、THE京都タワーをながめてます。がしかし、暑すぎる。
僕の祖父は、僕の誕生日に死んだ。東京の慌ただしい生活で、過去の記憶がどんどん薄れていっても、これは心の刺青となってる。祖父は、貿易の会社をやっていた。食器や骨董品など、物の人だった。僕の記憶は、彼がおじいちゃんになってからのものしかないので、実際に彼が話す昔話が本当なのかどうかわかんなかったけど(原住民に絵を描きまくってもらって日本で売るビジネスはめちゃ儲かった、的な)、個人的には楽しんでいた。お土産って言って、ディジュドゥ渡されたこともあったな。あれどこいったん?
こうやって、親戚が一同に介し、鰻を食べながら思い出話をする。天寿を全うした祖父母。何気ない幸せな思い出。僕がちゃちゃを入れるたびに、「なんか変なこと言うかわった子やな」感がぬぐえかったけど、その場の一員としての役割を果たしながら(一方で、今日現場をまかせたD.A.Nの野音公演がうまくいってるかも気になりつつ)、鰻重をそこにいる誰よりも、とびきり一番のスピードで完食した。
その後、ずっと気になっていた白山湯へ。ここの水風呂は地下水になっており、全く冷たく感じないが体には効く、という素晴らしい最高のもので、併設されている「地下水の滝」を頭に受けながら水風呂に入ると、その後、極楽が待っており、僕はかなり感動した。そして今まで見逃していたことを後悔した。露天風呂の横に外気浴スペースがあり、椅子に座る。最高に気持ち良い。ここ何ヶ月間の疲労が癒えていく。濃密な数ヶ月だった。
それはいつかどこかの西海岸。羊文学のアメリカツアーの深夜のホテルにて、井坂さんからの電話。「JJJくんが死んじゃって」。信じられない一言を聞いて、僕はベットに寝転びながら途方にくれた。JJJくんとは大西さんのリコメンドで、野音のライブから映像チームとしてジョインさせてもらっていて、大きな舞台のライブも目前に控えており、本人含めての演出打ち合わせを、ラインのやりとりを、今まさに進行していた途中だったので、なかなか信じられることではなかった。JJJくんは何に苦しんでたんだろう、いや、苦しんでないのかもしれない、いや僕は彼のことを何も知らない。そんなことは、僕が考えるようなことではなく、そこにあるのは、JJJくんが死んだ、それだけ。僕の中にも、井坂さんや大西さんの中にもJJJくんはいる。
その後、POPYOURS、ワンマン、フジロック、井坂さんが全て決行という判断をする。JJJの舞台チームで、JJJくんが嫌がるようなことはやらないという暗黙のルールに則りながら、みんなでピュアに意見を出し合い、舞台を作っていった。そこから行われたライブは、みんながJJJくんが死んだことを意識して演出したことによって、JJJくんがそこにいるように思えるような、でもいないということを叩きつけられるような、そんなことを行ったり来たりする僕にとっても特別なライブ体験となった。POPYOURSのAru-2くんの背中、大西さんのセンターステージの煙演出、ワンマンでのREAKSの映像、フジロックのCampanellaのタトゥー、ぱっと思い出すだけでもハイライトが多い。
フジロックでは、自分のステージでのChangesで号泣しながらMPCを叩いていたSTUTSが、JJJのステージでのChangesの時に笑顔で叩いていたのも、両アーティストでサービス映像スイッチングを担当できた僕の役得というか、その表情ひとつひとつに感動しながら、お客さんに伝わって欲しい思いを乗せて、僕は僕でスイッチング卓のボタンを叩いていた。感動したね。
気持ちに整理がつくようなことは実際無いだろうと思う。ただただ時間が過ぎて、感情がゆるやかになり、みんな他のことに向かって忙しくして、あの時の気持ちが薄まっていくだけだ。メモリアルなこの記憶もいつか忘れてしまうかもしれない。その時には井坂さんの「あいつ、まじ殺す」という口癖もなくなっているだろう。
僕も、幸せなことに少しの休暇を挟んだ後は、向かい合うべきことがたくさん待っている。それぞれを運命と考えるは楽だけど、現実はもっと出鱈目だ。でもその出鱈目に起こったひとつひとつの出来事を、それがどういうことか理解できずとも、背負って歩んでいくしかない。それが幸せであろうとも、不幸であとうとも、僕らはとにかく歩き続よう!
エモくなりすぎました!失敬!ではみなさん、熱中症には気をつけて!